なんか上海を思いだしたなぁ。
Hygge Liv!
hygge liv! 人生を楽しむ
北欧・ヨーロッパを中心に、海外を飛び回り感じたことや、経験したことを書き綴るライフスタイルブログです。
7/18/2012
6/02/2012
豊年虫 蘭の間
帝国ホテルや自由学園をF.Lライトとともに建築した、遠藤新の手がけた旅館が長野にあると知ったのは昨年、カード会社の会報からだった。ちょうど機会に恵まれ、千曲は戸倉山田温泉、笹屋ホテルへ向かう。
せっかくなのでライト系譜の建築を見る旅に。
まずはライトといえばタリヤセン、「軽井沢 タリヤセン」へ。
ヴォーリズ建築の「睡鳩荘」を眺める。
アントニン・レーモンドが、 昭和8年に建てた 「夏の家」
ライトのもとで学んだ建築家だが、この美術館はコルビジェが原案のようで、確かにスロープや空間の使い方を見るとそれも頷ける。これがコンクリートだったらまさしくコルビジェそのものだろう。
そして笹屋ホテルへ到着。「豊年虫」は ここ笹屋の別荘。
2010年に改修し、旅館として営業再開したようだ。
「蘭」の部屋は、この豊年虫の中で最も格調の高い部屋。本間15畳に広縁、床の間、そして部屋風呂もかけ流し。
この部屋の源泉風呂は、改装は入ったものの、建設当初からずっとかけ流されているようだ。
豊年虫の廊下は迷路のようになっている。8室全ての部屋から庭や池が臨めるように配慮されているらしい。ところどころに庭を臨むスペースが。
2階にはギャラリー、1階には茶室も。
茶室の入り口。丸い玄関に奥の丸窓が引き合い、それに茶室の直線が絡み合う。凄い。
料理は川魚、山菜を中心に、信州牛や野菜、とにかく質の良いものばかり。写真の豊年蒸しは絶品。
ここはもはや旅館というより、日本建築の巨匠の芸術作品といった感じだ。所々に匠の業が見られ、また部屋ごとに造りも違うため、また季節を変えて足を運んでみたい。
せっかくなのでライト系譜の建築を見る旅に。
まずはライトといえばタリヤセン、「軽井沢 タリヤセン」へ。
ヴォーリズ建築の「睡鳩荘」を眺める。
アントニン・レーモンドが、 昭和8年に建てた 「夏の家」
ライトのもとで学んだ建築家だが、この美術館はコルビジェが原案のようで、確かにスロープや空間の使い方を見るとそれも頷ける。これがコンクリートだったらまさしくコルビジェそのものだろう。
そして笹屋ホテルへ到着。「豊年虫」は ここ笹屋の別荘。
2010年に改修し、旅館として営業再開したようだ。
「蘭」の部屋は、この豊年虫の中で最も格調の高い部屋。本間15畳に広縁、床の間、そして部屋風呂もかけ流し。
この部屋の源泉風呂は、改装は入ったものの、建設当初からずっとかけ流されているようだ。
豊年虫の廊下は迷路のようになっている。8室全ての部屋から庭や池が臨めるように配慮されているらしい。ところどころに庭を臨むスペースが。
2階にはギャラリー、1階には茶室も。
料理は川魚、山菜を中心に、信州牛や野菜、とにかく質の良いものばかり。写真の豊年蒸しは絶品。
ここはもはや旅館というより、日本建築の巨匠の芸術作品といった感じだ。所々に匠の業が見られ、また部屋ごとに造りも違うため、また季節を変えて足を運んでみたい。
ラベル:
Japanese Style
場所:
日本, 長野県千曲市
5/12/2012
あさば 浅葱の間
数年ぶりのあさば。
会社の5周年かつ久々の和風旅館。確実に自分を満足させる宿泊にしたかったら、もはや選ぶべき宿は他に見つからなかった。
2階の「浅葱の間」から見る能舞台は、まるで絵画の様。
洋室にはセンスの良い革張りのチェアー。ここに腰かけ能舞台を眺めると、時が止まったようだ。
あさばの食事は覚えていた。というより、俵屋や湯布院の高級旅館には行ったことがないにしろ、これだけ色々行っていたはずなのに、覚えていた食事があさば 4品と、長野のとある旅館で出された信濃虹鱒のみだった。ここの料理は凄い。計算されている。「今これを食べて、口の中がこういう状態だから次にこれを出 すとうまみが倍増する。」という考えのもと並べられた、引き算を基にした掛け算のコース。先付から何から全て一仕事入っており、気が抜けない。改めて思 う、和食は凄い。
帰りの車の中で、以前ここへ来た時の自分のことを、若造が良くもこんな旅館に来たもんだと思ったりしたが、また数年後に訪れた時には、今の自分をそのように思うのだろうか?ふと昔のブログを読み返してみると、前に来てから5年経っていたようだ。そして記事を読むと、今回思ったこととまったく同じような内容を同じような表現で書いている…。これが自分が全く成長していないということでなく、あさばもあさばで成長してるんだということであると、そんな失礼なことを自分に言い聞かせているかどうかは別として、この唯一無二の旅館は、今の自分のありのままを映してくれるのかもしれないと思った。そういう意味でも自分にとって、ここへ来ることは自分の人生に必要不可欠なことなのかもしれない。
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